原爆の図丸木美術館

先日、丸木位里・俊さんの「原爆の図」を見に丸木美術館へ行って来ました。
入場券とリーフレット
入場券とリーフレット
なぜ埼玉に原爆の図丸木美術館を建てたのか学芸員さんにたずねてみました。位里さんの故郷が広島県だったのもあり、はじめは広島県に美術館を建てる予定だったそうです。が、実現せず、千葉に気に入った場所があったのですが土地が手に入らず、流れ着いたのが埼玉の東松山だったようです。
丸木美術館の横を流れる川は位里さんの故郷の風景にそっくりだと位里さんは言っていたのだそう。見晴らしの良い気持ちいい景色でした。
原爆の図丸木美術館横を流れる都幾川 いつもより水が少ないそうです。
原爆の図丸木美術館横を流れる都幾川 いつもより水が少ないそうです。

 「原爆の図」きれいでした。原爆の図にきれいだなんて言うと語弊があるかもしれませんが、作品として素晴らしいなと思ったのです。妻・俊さんの人物デッサンの巧さとそれを墨を流して消しにかかる位里さんがいい塩梅に融合していました。俊さんが描き位里さんが消すまた俊さんが描く、この無言の格闘を思うとワクワクします。原爆という重い内容であり、多くの人の思いを抱えた画題なのでそれをどう描き表すか大変苦心したと思います。でもその格闘は楽しいものだったと思うのです。そう言えば、熊谷守一は制作をしている守一の姿を見た妻に苦しそうだと言われたそうです。しかし熊谷守一自身は、なかなか思うように描けなくて悔し涙を流していたとしても楽しいんだ。と言ったそうです。描くことは楽しい事です。画題が何であれ制作の格闘は楽しい事なのだと感じます。

 「原爆の図」は二人の共同制作ですが、個々では位里さんは水墨で抽象作品を、俊さんは油絵や絵本を多く手掛けた方です。「原爆の図」以外のお二人の作品ももっと見てみたいなあと思いました。

 

最後に、丸木夫妻が小学校の壁に描いた絵を見に行きました。東松山市立青鳥(おおどり)小学校です。青い鳥の中央に肌の色が違う3人の子供が描かれています。構図は位里さん、絵は夫妻で描いたそうです。丸木夫妻のデザインが校舎に描かれている学校は青鳥小だけみたいです。

夕暮れの中、フェンスの外から。足元にはつくしんぼ、春を感じます。